これは、私の若かりし頃の思い出話です。
私個人の昔話ですので、そういった話にご興味のない方は、時間の無駄になるだけかと思いますので、どうぞこのブログ記事をスキップして下さい。
当時、中学3年生だった私は、進路相談の三者面談で、担任の教師から「ワンランク下の○○高校なら上位の成績で合格できるけど、あなたの第一志望の高校だと合格出来るかどうかは五分五分だわね」と言われました。
私はそれがめちゃくちゃ悔しくて、「絶対に志望校に合格してやる!」と、その日から約6ヶ月間、猛勉強しました。
特に冬休み期間中は、朝から夕方まで塾の冬期講習を受講して、帰宅後は夕食時を除いて夜中の1時、2時までぶっ通しで勉強する毎日でした。
今思い返してみると、自分でも何かに取り憑かれたように、一心不乱に勉強していました。
その甲斐あって、最後の模試で第一志望校A判定の結果を出し、最終的な進路決定の面談で、担任教師も私の第一志望校の受験を認めてくれました。
結果として、私は第一志望の高校に合格することができました。
私がその高校に合格できたのは、全くもって中学校の先生たちのお陰ではなく、当時通っていた学習塾の先生たちのおかげでした。
そして、合格発表後、お世話になった塾の先生たちに合格の報告とお礼を伝えに塾に向かいました。
その時のことは今でも鮮明に覚えているのですが、塾の先生たちは、「よく頑張った、おめでとう!」と私の合格を一緒に喜んでくれました。
その時の私は、かなり興奮気味でテンションも上がっていて、有頂天になっていました。
しかし、そんな中、一人の塾講師が、「まだ、これから先、(人生)どうなるか分からんよ」と、ボソッと私に向かって言いました。
その人は、数ヶ月前に新しく入ってきた先生で、私はその先生の授業は受けておらず、私の一学年下の授業を担当していました。
確か東大卒の人で、一人で英・数・国・理・社の5教科全てを担当していたと記憶しています。
普段話したこともない先生から、突然そんなことを言われて、私は「何で自分の担当でもない先生にそんな言い方されなきゃいけないんだよ!」と内心ムッとしたのですが、とにかく第一志望の高校に合格できたこともあり、「まぁ、そんなことどうでもいいか」と、お世話になった先生がたにお礼とお別れの挨拶をして、塾を後にしました。
さて、その後の高校生活ですが、幸運なことに学校の校風が自分にピッタリと合っており、また、多くの個性豊かな友人たちに出会うことができ、楽しい思い出ばかりの、あっという間の3年間を過ごしました。
しかし、青春を謳歌しすぎた私の先に待ち受けていたのは、絶望的な未来でした。
一応、私の通っていた高校は、偏差値65程度の1.5流の一応進学校で、私は高校入学時から、それなりに名の通った大学に入ることを夢見ていました。
しかし、高校3年間、定期テストの時の勉強以外、ほとんどやって来なかった私は、大学受験の為の正しい勉強方法が何たるかを全く理解せぬまま、見当違いも甚だしい我流の受験勉強をして、その当然の結果として、浪人生活を送ることとなりました。
当時、私の母校は、大学進学率が95%を超えるぐらいの進学校ではありましたが、私の世代は、団塊ジュニア世代(第二次ベビーブーム世代)であり、日本の全人口に占める割合も多く、少子化が続く現在の日本とは状況が全く異なり、受験生も現役で大学に進学する学生よりも浪人する学生の方が多かった時代で、「一浪、二浪は当たり前」という風潮さえありました。
そう言えば、当時「予備校ブギ」なんていうタイトルのドラマが流行っていました。
一浪目の時、私は某国立大学を目指して、5教科+小論文の勉強をしていたのですが、一年勉強しても、志望大学のレベルには箸にも棒にも引っかからない状態でした。
しかも、典型的な文系人間で高校時代の数学の成績が悪かったにもかかわらず、何を血迷っていたのか、二次試験の受験科目にも数学がある大学を目指していたのでした。
そして、浪人しても数学が絶望的にできなかったので、私は目標にしていた国立大学を一浪目で諦め、二浪目は私大文系に切り替えました。
しかし、高校時代から憧れていた某国立大学を諦めたことで、(浪人中はかなり真面目に勉強していたのですが)、二浪目は、悪い意味で浪人生活に慣れてしまったのか、何となく受験勉強がマンネリ化して、勉強に対する緊張感が薄れ、学習のペースも緩くなってしまっていた気がします。
結果、私は二浪した挙げ句、滑り止めの中堅私立大学(2校)にしか受からず、自分自身に失望し、失意のどん底にいました。
そして、滑り止めの大学に進学した私は、上述の塾講師が私に言った「まだ、これから先、(人生)どうなるか分からんよ」という言葉を、不意に思い出したのでした。
「勝って兜の緒を締めよ」という諺がありますが、私の高校受験での第一志望合格から、その5年後に訪れる大学受験失敗に至る話は、正にこの諺が当てはまります。
そう、若かりし日の私は、「勝って兜の緒を締め忘れた」大馬鹿野郎だったのです。
そして、私は、今でも、ふとした瞬間に、まるで中3の頃の私の将来に起こる出来事を見通していたかのような、その塾講師の顔と「まだ、これから先、(人生)どうなるか分からんよ」という言葉を思い出すのです。
人生、ちょっと上手くいっていると思って慢心していると、突然足をすくわれたりするので、「勝って兜の緒を締めよ」という言葉は、生きていく上で、常に心に留めておくのがよいのでしょう。
以上、私の昔話でした。
おしまい。